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名古屋地方裁判所 昭和27年(ワ)1749号 判決 1957年4月20日

原告 飯田そう

被告 近畿日本鉄道株式会社 外一名

主文

被告等は各自原告に対し金五十萬円及びこれに対する昭和二十八年一月十五日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決は原告において被告近畿日本鉄道株式会社に対する分として金十萬円、被告飯田光五郎に対する分として金十萬円の各担保を供するときは仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

昭二十七年二月一日飯田国蔵がパンの配達をするため、被告光五郎所有の営業用オート三輪車を操縦し、運転台の傍らになつ子を同乗させ、名古屋市中村区岩塚町八百屋岩政方の配達を済まし、同区長草町七丁目地内の道路を南方に向つて疾走し、同日午前十一時四分頃被告会社八田駅西方約一町の地点にある電車線路踏切を横断する際、被告会社の電車運転士島田利一の運転する彌富駅午前十時四十分発名古屋駅行二輛連結普通列車が三輪車の後部に衝突し、国蔵は即死、なつ子は頭部、顔面、左腰部及び両手足に重傷を負い、直に附近の村松医師の応急手当を受け、同日午後一時頃同市中川区下ノ一色町共愛病院に入院し治療を受けたが同日午後三時十分頃脳震盪及び前記創傷のため同病院において死亡したことについては当事者間に争がない。

第一、よつて先ず右事故が被告会社の被用者島田利一及び被告会社の過失に基因するか否かについて判断する。

成立に争のない乙第一号証(警察官作成の実況見分調書)及び検証の結果を綜合すれば、本件事故現場である踏切は被告会社八田駅西巾員四米五十糎の八田第一号踏切で、同踏切附近の軌道は直線であるが踏切より西は千分の二五の勾配をなし、東は平坦で約百五十米先に八田駅ホームがあり、軌道南側は約十六米を隔てて国鉄関西線が併行して敷設され、右関西線の踏切には遮断機が設置されているが、事故当時本件踏切には両側にブザー式警報機各一個が設置され、なお「踏切一旦停止安全確認」「とまり、きき、みてとおれ」の警示板が設置されていたこと、右踏切の北西の方角にあたる岩政八百屋前の石橋より長草地内の道路を南へ約二十三米七十糎、訴外森真現氏宅南端において前方の被告会社鉄道線路を望むことができ、右地点より道路は東へ曲折し略々線路に併行して走るが、右道路と線路の間に民家が四軒立並び前記森真現氏宅南端より右家並の西端まで五十一米六十糎でこの間道路より線路に対する見通しは良好であるが、この家並の前を本件踏切に向つて進む間は、家屋に遮断されて線路に対する見通しは極めて悪いこと伏屋駅より八田駅に向う電車が踏切手前約百二十五米の地点に差しかかつた場合右電車より前記通路の森真現氏宅南端より家並の西端までの見通しは良好であるが、更に進んで前記家並まで進行すると電車からの道路に対する見通しは極めて悪いことが認められる。

成立に争のない乙第二乃至第四号証、証人山崎繁樹、同南出久男、同武藤芳吉、同島田利一の各証言を綜合すれば本件事故当日は雨天で見通は稍々不良であつたこと、国蔵の運転する三輪車はなつ子を運転台の左側に乗せ雨合羽を着用し、相当な速度で疾走して本件踏切に差かかり、踏切手前で停止することなく一気に横断しようとしたこと(国蔵が電車の通過の有無を確認せず踏切を横断せんとしたことについては、原告と被告会社間に争がない)島田運転士は当日車輛の点検をなし異状なきことを確めた上発車し、伏屋駅で乗客は略々定員の二百名となり同駅を定時に発車し日毛引込線跨線橋附近(踏切手前約二百五十米)を制限時速五十五粁で東進、右跨線橋を越すと警音器を吹鳴しつつ進行し、踏切手前約四十米の地点で踏切約七米手前の道路上を踏切に向つて疾走する本件三輪車を現認したので、右現認と同時に一段強く短急警笛を吹鳴すると共に、非常制動の措置をとつたが及ばず、踏切に突入した三輪車側面中央部に衝突し踏切より八田駅方向へ七十五米先の地点で停止したことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして進行中の列車が常用制度により停車するのは速力のキロ数の相乗積を二〇で除したものを米であらわした距離の先であり、非常制動による場合はその〇、七乃至〇、八倍ぐらいであることは乙第四号証にもあるように一の実験則であつて、本件電車の速力が時速五十五粁であつたのであるから非常制動による列車停車までには約百五米乃至百二十米を要することは算数上明かである。

一般に専用軌道を使用する高速度交通機関の電車運転士は、前認定のごとき警報機及び警示標の設置ある踏切を通過するに際しては事故発生の危険が特に大である等の特別の事情がある場合を除いては、特別に電車の速度を減じたり電車を何時でも停止し得るような状態において事故発生を防止すべき注意義務はないと解すべきであり、本件踏切は前記認定のとおり、伏屋駅より八田駅に向う電車より本件踏切附近に対する見通しは良好とはいえないが、かかる事情のみによつては電車運転士に速度を低減すべき義務があるとはいえず、ただ常に前方を注意して踏切通行者の速かな発見に努め、警笛を吹鳴してその注意を喚起することによつて事故の発生をできる限り防止すべき義務があるに過ぎないと解すべきである。ところで島田運転士が本件踏切手前相当の距離より警笛を吹鳴しつつ進行していたことは前認定のとおりであり、その他同運転士に右のごとき注意義務に違背したとなすべき事実を認めるに足る証拠はないから、同運転士には何等過失は存しないというべきである。従つて同運転士に過失ありとの原告の主張は理由がない。

次に原告は、本件踏切には遮断機を設置すべきであるのに、これを怠つた点に被告会社の過失が存すると主張するので、この点を考えて見る。前記認定のごとき本件踏切附近の状況から考察して、本件踏切においては警報機の設置をもつて足り特に遮断機を設置しなければならない必要性を認めることはできない。近鉄線に併行して敷設されている国鉄関西線の踏切には遮断機が設置されていることは前認定のとおりであるが、本件踏切とは約十六米の間隔があるのであるから、被告飯田光五郎本人の供述するごとく関西線の遮断機の在るため錯覚を起すことは、極く稀であると云うべきであるから、このことをもつて遮断機設置の必要性を肯定することはできない。従つて被告会社には遮断機設置の懈怠による過失はないものと云うべきである。

次に本件踏切に設置してあつた警報機の性能にかしがあつたか否かについて考えて見る。本件事故当時の警報機がブザー式で光が点滅する方式のものであつたこと、電車が踏切手前九百二十三米に達するとブザーが鳴り光が点滅すること、警報機は監督官庁である陸運局の性能検査があり、その条件は踏切から五十米離れた所より尖光が見えブザー音が聞えることであること、本件警報機は昭和二十四年七月陸運局の性能監査の際合格し、被告会社ではその後も見廻り検査をしていたものであることは、証人鈴木徳蔵の証言により認められる。なお同証人は、本件警報機のブザー音は百五十米離れたところでも聞え、尖光は七十五米乃至八十米手前で見えたと供述しているが、該供述部分は措信し難く、却つて前掲乙第一号証によれば、本件事故当日事故の捜査に当つた武藤巡査部長の実況見分によれば、相当離れたところよりブザー音を聞き得るも、赤色点滅信号は稍暗く二、三十米前方においては一寸注意せざればこれを知ることができない状態にあつたことが認められ、このことは被告飯田光五郎本人訊問の結果からも裏付けられる。又事故当日の翌日右ブザー式警報機が現在の電鐘式警報機に取替えられたことについて被告は明に争わないからこれを自白したものと看做す。そして前掲証人鈴木徳蔵の証言により成立を認める乙第五号証の一乃至三、及び、証人鈴木徳蔵の証言によれば、被告会社が右のごとき警報機の取替をしたのは、八田駅の改修に伴い警報機の配線をも変更することになり、昭和二十七年一月九日より警報機の変更工事に着手したものであり、工事完成が偶々事故の翌日である二月二日になつたものであること、当時ブザー式警報機及びその部品は製作されていなかつたため電鐘式にしたものであることが認められる。然しながら以上認定の事実から、事故当時のブザー式警報機が正規の規格に合つたものと直に解することはできず、寧ろ監督官庁の性能検査の時より長年月を経性能も自然に低減し、且つ、警報機の取替えが予定されていたところより、右警報機の保全が充分でなく、殊に赤色灯の点滅装置においては塵埃等のためその性能が相当低減していたものと推認するに難くない。かかる警報機の場合ブザーはかなり遠方より聞えるといつても静止している者或は徒歩の通行人に対する場合であつて、エンヂンの爆発音を伴う自動車或はオート三輪車等においてはかなり聞きとり難いものであることは推察に難くないし、赤色灯の点滅が前認定のごとくなのであるから、危険防止のため設置されている警報機として充分な性能を備えていたものと認めることはできない。もし警報機が充分な性能を維持していたならば、国蔵も電車の接近を容易に察知し危険防止の措置を講じ得たであろうと思える。従つて警報機の性能保全が充分でない点に被告会社の過失を認めなければならない。

第二、次に被告光五郎に対する関係において、国蔵が被告光五郎の被用者であるか否かの点は暫く措き、国蔵の過失の有無を判断する。国蔵が本件踏切附近の状況、特に警報機の状況についてかなり熟知していたものであることは被告飯田光五郎本人訊問の結果から窺知することができる。然るに成立に争のない乙第三、第四号証、証人南出久男の証言によれば、国蔵は本件踏切において一時停車の措置を講ぜず一気に踏切を横断せんとしたものであることが認められる。凡そ鉄道軌道の踏切を通過しようとするときは、信号の表示、当該警察官若しくは警察吏又は信号人の指示、その他の事由により安全であることを確認したときの外は、安全かどうかを確認するため一時停車すべき注意義務(道路交通取締法第十五条参照)があるに拘らず、右認定のごとく国蔵が一時停車を怠り踏切を横断せんとしたことは右注意義務に違反したもので、過失ありと云わなければならない。

そこで国蔵が被告光五郎の被用者であるか否かについて判断する。国蔵が被告光五郎の三男であることについては、原告と被告光五郎間に争がない。被告光五郎が嘗つて米穀商を営んでいたが統制実施と共に食糧配給公団の職員となり現在米穀配給所の職員として勤務していることは証人西川伍郎の証言により認められるが成立に争のない甲第二号証、証人飯田喜恵子の証言により成立を認める甲第三号証と証人森かも江の証言によれば、被告光五郎が製パン業を営み、被用者に対する給料は被告光五郎より支払われ、国蔵も被告光五郎より一ヶ月金一萬二千円の給料を支払つてもらつていたこと、被告光五郎は昼は米穀配給所に勤務し、通常毎朝午前二時頃起床して製パンの監督し、パンの材料の仕入或は販売先の指図もしていたことが認められ、これに反する証人飯田喜恵子及び被告飯田光五郎の各供はいづれも措信し難く、また成立に争のない丙号各証が製パン業の営業名義人が国蔵になつていることを示しているが、税金対策或は営業許可の関係から営業名義人と真実の営業者と一致しないことは巷間暫々見られる現象であり、殊に被告光五郎と国蔵が親子の関係にあることより、営業名義人が国蔵であつたとの事実のみでは右認定を妨げるものでなく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして国蔵がパンの販売のため被告光五郎所有の三輪車を操縦して本件事故を惹起したものであることについては当事者間に争がない。されば本件の事故は被告光五郎の被用者である国蔵がその業務の執行中になされたもというべきであるから、被告光五郎は国蔵の過失により生じた損害を賠償すべきであることは明白である。

第三、本件衝突事故は以上認定の被告会社の過失と国蔵の過失とが競合して発生したことは明白である。しかして右事故によりなつ子が負傷し死亡したことについては当事者間に争がないのであるから、右なつ子の蒙つた損害について、被告会社及び国蔵の使用者である被告光五郎は各自賠償責任を負うべきものであることは当然である。もつともなつ子は国蔵の操縦していた三輪車に同乗していたのであるから国蔵の過失について一半の責任を負うべきものかどうかが問題となるが、かかる場合なつ子自身に過失があれば格別であるが、さもなければなつ子にとつて第三者である国蔵の過失については何等責任はないと解すべきである。されば被告会社は国蔵の過失の大小に拘らず、自己の過失責任に基き、なつ子の蒙つた全損害を賠償すべきである。(なお被告会社が国蔵の使用者たる被告光五郎に対し国蔵の過失責任を追及することが出来ることは勿論であるが本件の場合これは別問題である。)被告光五郎は、被告会社の過失が大であるから賠償額について斟酌さるべきであると主張するのであるが、被告会社について述べたと同理由により、被告光五郎はなつ子の蒙つた全損害を賠償すべきである。なお被告光五郎はなつ子の過失を主張し過失相殺を求めているが、なつ子に過失が存在したとの事実についてはこれを認むべき証拠はないから該主張は採用できない。

第四、進んで損害額について判断する。

なつ子が被告光五郎に雇われ一ヶ月金四千円の給料を得ていたことについては原告と被告会社間に争がない。原告と被告光五郎間において、なつ子が被告光五郎に雇われていたことについては前記定のとおりであるし、なつ子が一ヶ月金四千円の給料を得ていたことは前掲甲第三号証により認めることができる。なつ子が事故当時二十年六月であつたことについては当事者間に争がない証人飯田一郎及び原告本人訊問の結果によれば、なつ子は健康でこれまで病気らしい病気をしたことがないこと、給料は殆んど原告方の家計に注ぎ込まれていたことが認められる。されば、なつ子が本件事故に遭遇しなかつたならば爾後少くとも満三十年は労働することができるものと推定でき、しかも死亡当時一ヶ月金四千円の収入を得ていたのであるから、右期間中少くとも一ヶ月金四千円宛の収入を得ることができると解すべきである。そして原告は右一ヶ月金四千円の内よりなつ子自身の生活費金二千円を控除した残りの金二千円がなつ子の一ヶ月に得る純収益であると主張する。なつ子の生活費を一ヶ月金二千円と算定することは他に特別の事情がない限り相当と見られるから、一ヶ月の純収益は原告主張のごとく金二千円であると解すべきである。従つて三十年間右の割合による受べがりし利益を喪失したこととなり、その総額が金七十二萬円になる。しかしてこれを一時に請求するのであるからホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除した金二十四萬八千円がなつ子の損害額というべきである。

次になつ子の肉体的精神的苦痛に対する慰藉料について考えて見る。なつ子が受傷より死亡に至るまで約四時間経過したことについては当事者間に争がない。そして証人水野五月子、同池田あさの、同飯田一郎の各証言、及び、原告本人訊問の結果によればなつ子が苦痛を訴えていたことが認められる。右事実と諸般の事情を勘案して、なつ子の蒙つた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料は金三十萬円をもつて相当と思料する。

しかして、なつ子に民法第八百八十七条、第八百八十八条の規定による相続人の存しないことは弁論の全趣旨により認められるから、なつ子の直系尊属たる原告が単独相続人として、なつ子の右合計金五十四萬八千円についての損害賠償請求権を相続したものであることは明かである。そこで原告のなつ子の母親として、なつ子の受傷とその死亡による精神的苦痛に対する慰藉料額について見るに、諸般の事情を勘案して金十萬円をもつて相当と思料する。従つて原告は被告等各自に対し右合計金六十四萬八千円について請求権を有するものと云うべきであるから、原告が本訴において右の内金五十萬円及びこれに対する本件事故後である本訴状送達の翌日である昭和二十八年一月十五日以降右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるのは正当である。

よつて原告の本訴請求を認容し、訴訟費用について、民事訴訟法第八十九条、第九十三条、仮執行の宣言について、同法第百九十六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢博)

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